星期三, 9月 07, 2005

Osaka 2005 之3







以前的熊野水軍曾駐紮在這裡

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三段壁洞窟をご覧いただく前に、少しでも熊野水軍のいわれなどを読んでみてください。 また一味違うロマンに浸れるかも知れません。

源氏と平家が激しい戦いを繰り広げていた頃、熊野水軍は、熊野別当湛増(武蔵坊弁慶の父)に率いられて壇ノ浦の合戦に馳せ参じ、源氏の大勝利に多大の貢献をしたといわれる。

これには次のような故事がある。

湛増は元々平家方として知られていたが、我が子弁慶の要請もあり、どちらに加勢すべきか迷っていた。そこで田辺の宮の神前で、紅の鶏を平家、白の鶏を源氏とみて七番の闘鶏を行い、神意を占った。 結果は七番とも白鶏の一方的な勝利であった。 これにより湛増は、神は源氏につけとのお示しと拝受し、熊野水軍に源氏方への加勢を呼びかけた。 そして直ちに総勢二千余名が二百隻の船に分乗、源平両軍が対峠する屋島ノ浦に向かって田辺の湊を出発したのである。

屋島ノ浦では両軍が、姿をあらわした船団を見つけ、敵か見方かと見守る中、船上に仁王立ちになった湛増が大音声に 「紀国熊野新宮に仕え奉る七代の熊野別当湛増、神威を奉じて源氏の軍に馳せ参じ申した。率いるは熊野水軍二千余名、船艘二百。 神意を伺い奉るに『氏に味方せよ』との仰せである。 神意は絶対である。 いざ、熊野水軍の力のほどをお目に掛けよう」 源氏の軍から湧き起こる大歓声。

熊野水軍のこの参戦は源氏にとって、百万の力にも値したことであろう。 そしてこれが、源平合戦に終止符を打つ要因の一つになったのである。

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